2014年4月18日金曜日

徒然日記

TOKYO RISING ←クリックでリンクの動画に飛びます。

全5回のファレル・ウィリアムスが 3.11後の東京を追ったドキュメンタリー。
見応えあったし理解できるし面白かったけど、賛同できない。
すごくアメリカ的で画一的な解釈の仕方だなぁ、と。
9.11と3.11を同列で扱うなよ、意味合いが全く違うだろ、と。
知ったげにコメントするアーティストと呼ばれる日本人達に違和感。

TOKYOって一口に言ったって奥多摩や青梅なんかで生まれ育った人と、横田基地近辺や23区内や都心と言われる地域で生まれ育った人とは違うはず。

TOKYO = NEW YORK = LONDON = PARI = BERLIN = MOSCOW = ROMA = BEIJING ,,,,
いわゆる先進都市なんて、せいぜい100年後とか最早先が見えてる終わりかけの土地だと思えてしまう。

アートとか表現というだけの側面で語るなら彼らの言うことも最もだが。。。
生きていればこそ、だよね。
そこには日々の営みというか何の面白味もない生活の場が淡々と横たわっている訳で、どの国の人だって大多数はただその面白いわけでもない淡々とした日々を積み重ねているんです。そしてその積み重ねを「文化」と解釈することがあるだけで、何かを表現しようとしても、それは生きていればこそ。
じゃぁ、生きてるって何?っていう大前提をなくして物事を語るのはナンセンスなんじゃないのかな?
アーティストっていうのは何かを表現しないと生きていけないということには賛同できますが、その前に食べて寝ることができる環境ありきなんじゃ?
後進国のスラムや温暖化の影響なのか日照りや不作が続く地で暮らす明日をも知れない日々に生きる「アーティスト」が表現することって何なんですかね?

環境に恵まれた人が、暗黙のうちに生きられる保証がある人が、何を表現したとしても上っ面じゃないですか?
勿論、全ての苦悩を同列で扱うことはできませんが、そこには噓臭さやズルさを感じずには居られない訳です。

大体が、このシリーズに登場する日本人達が、「どうせ中流以上の、日本人の中でも恵まれた部類の人なんでしょ」という臭いがするのにイラッとした訳ですw
被害妄想ですが、ねw
異論反論は受け付けます。所詮は酔っ払いの戯言w

0 件のコメント:

コメントを投稿