2013年8月15日木曜日

旅日記/お盆も通常通り営業しております。


先日、店のメールに問い合わせをくれた人と旅の話になり、僕が語った話を折角文章にしたからブログに転載!

僕はmonsoon食堂を始める前の仕事で数年前の夏頃に5ヶ月ほど韓国はソウルに住んでいた。仕事で行ってるので観光地を廻ったりするような遊びは全くせず、職場もアパートも日本で言う渋谷とか心斎橋のような地域にあったので近所の飲み屋にばかり詳しくなるような生活だ。で、お盆くらいの時期に娘の誕生日があるし盆だしで一時帰国したのだが、短い休暇が終わって再び韓国へ戻るときのエピソード。

 鳥取の境港(水木しげるロードがあるとこ)から韓国の東海(トンへ)という街までDBSというフェリーで1晩で行けるのだが、僕はそのフェリーの4つベッドがある部屋に泊まっていて、その僕の隣のベッドの人が、今まさに世界一周の旅に出発するという人だった。
その時の僕は個人的な旅ではなく仕事での渡航だし、これから行く場所も既に居住しているしで浮かれたテンションではないのだが、今この瞬間に旅が始まったという人と出会えて嬉しくなったものだ。しかもその人は、うろ憶えだが当時63歳とか!
僕も過去の個人旅行中に色んな旅人と出会ったがダントツでブッチギリの最高齢。「何でまたイイ歳こいて、そんな酔狂な事を?」と尋ねたところ、「20代前半の頃に一度世界一周したことがあるんだけど、あの時の経験や興奮をその後40年も忘れた事はなく、いつか又!」とずっと考えていたという。で、具体的には忘れたが彼は◯◯省とか◯◯庁だかで公務員を定年まで勤め上げ、「無事退職したし子供らも自立したし、もぅエエやろ」ということで旅に出たということだった。
聞けば退職から1年間は「世界一周の旅に出たいなどと言い出したら、奥さん卒倒するやろな。。」とビビりつつ、退職後2年目になって奥さんに直談判したところ案の定認められず、離れて暮らす子供らも含め説得に1年かかったらしい。無事にGOサインをもらい準備にかかる訳だが、アフリカやら中東やら南米やらの危険地域も経由地に入れているので、段取りがそうは簡単にはいかず準備だけで1年かかったそうだ。(※アフリカの辺境の地などに行く場合、ビザ申請だけでなく伝染病の予防接種を受ける必要があるが、1つの予防接種でも数週間の間を空けて2回とか、他の予防接種を受けてから1ヶ月間は別のを受けられないとか色々メンド臭い、紛争地域だと特別な事情がないかぎり渡航が認められなかったりするなどの為)。
そして諸々の準備が整い「いざ行かん!」ってタイミングに僕が居合わせた訳だ。
何でも、「歳も歳だし危険な事をするんだし、もしかしたら もぅ会えないかもしれないね」と、この旅の道中で死ぬ事もあり得るだろうと奥様と話して自宅を出たそうだ。

彼のザックリとした予定では「とにかく陸路を行く!」とのこと。
なので、事前に準備した色んな国のビザを持ってはいるが、「行かない所もあるだろうし、ビザなしでも行く所もあるだろう」なんて男らしいプランだった。
僕は羨ましく思いながらも夜も更けて話を切上げた。
船内にあるバーのフィリピン人のお姉ちゃんと仲良くなったり彼の旅がどんなものになるのか想像したりしつつ、ゆったりと揺れる船の寝床についた。

 翌朝、予定通り東海に着き入国手続きを済ませ売店のおばちゃんとダベったりしながら、バスで3時間ほどのソウルまでの移動どうすっかなー?なんて思案していた。
ふと、売店横にある入国管理局の人が何かトラブったような雰囲気を見せている。ボンヤリ見ていると昨夜の世界一周の隣ベッドの彼が問題になっている様子。
助けてやろうなんて程でもないが、「どうしたの?知り合いだし手伝おうか?」と、申し出ると、入国管理局員は少し安心した面持ちで「この人とコミュニケーションが取れないんだよね」と入国手続きの手伝いを頼んできた。
僕にとっては慣れた作業なので、本人に代わり必要事項を双方に説明したり記入させたりして無事に入国手続きを済ませ両替もして、ようやく外に出た。僕はタクシーに乗って20分ほどのバスターミナルへ、彼はこの時点での具体的な予定などないのでとりあえず街中へ。「旅が始まって早々助けてもらって申し訳ない、本当にありがとう」と感謝されてしまった。「いえいえ、大した事ではないですよ」そして別れの時。

そう、彼の前途は多難なのだ。僕だって何でもなくタダ隣に乗り合わせただけなら、こんなショーモナイことを手伝ったりはしないだろう。
その、彼の旅というのは、「バイクで陸路で」。
そして何よりも、彼は「聾唖者」だった。
この旅のためにバイクを購入し国際免許を取得し、健常な家族を説得し、様々な申請や手続きを済ませ、死ぬかもしれない覚悟で今、異国の地に降り立ったのだ。

 僕は彼の様にハンデがある人がこういった旅に出る事にさほど驚きはしなかった。
バックパック一つで宿も次の目的地も、その場の気分で決める様なちょっと長めの旅をした事がある人には分かると思うが、そういった旅の道中には「マヂで!?」と思う様な旅人に出会う事が珍しくないからだ。色んなタイプがあるが例えば、40代も半ばで定職に就いた事もなくひたすらバイトと旅を繰り返している人、母国を出てからドコかに定住する事もなく母国に居る家族に連絡もせず早5年とか、妻子が居るにも関わらず1人で気ままで危険な個人旅行するヤツ(僕)、旅に出て既に3年経つがこれから行く宛ても帰る気もないのに全財産が残り20ドルしかないとか。。そういった驚く様な旅人の中にはやはり健常ではない人も多からず居るのだ。
印象に残っている出会いがある。
中東を旅していた時に、シリアはダマスカスでTという日本人と同じ部屋に泊まっていた縁で仲良くなった。その彼とは互いに2、3日ほどダマスカスに滞在している間、連れ立って行動する訳ではなかったが「あすこで酒が買えるよ(飲酒を禁じているムスリム国家なので酒屋や飲み屋を捜すのに苦労する)」とか「どこそこの屋台は旨かった」、「あの角にあるネカフェはエアコンが効いてる」とか情報交換している延長で「今晩、一緒に飲もう!」と必然的な流れで、安宿のテラスでベロベロになって明け方まで語り明かしたりした。
そのTとはその後、一緒にレバノンはベイルートに行き、昼は別行動だが夜は宿で自炊しつつ(ベイルートは物価高故)飲み明かす様な感じでシリア含め計1週間ほど共に過ごした。Tは「残りの全財産が20ドルしかないから、エルサレム近郊(イスラエル)へ不法就労しに行く」とのこと。別れる前夜、そのTからNという日本人の話を聞いた。
というのも、僕はその後再びシリアを経てトルコに渡る予定になっており、僕と同じ様なタイミングで「トルコに居るであろう友人のNというヤツが居るから、会ったらヨロシク伝えてくれ」と言付かったのだ。
そして案の定、イスタンブール(トルコ)でNと出会う。
この偶然も、こういった旅をした事がない人には分からないかもしれないが、必然としか思えない様な偶然と言うか、旅先ではそういう出会いが珍しくない。どこかで会ったヤツに何の約束もなく数ヶ月も後に全く違う土地で再会するとか、「◯◯って人と会うと思うよ」って誰かに言われたりすると、実際にその人に出会うとかって事がよくあるからだ。Tもそれが分かっていて僕にその話をしたのだ。
Tによると「Nは珍しいオッドアイで聾唖で長髪で長い髭をたくわえた日本人」とNの特徴を語っていたので、会った瞬間に「コイツだ!」とすぐに分かった訳だ。
TとNは僕がTと知り合う以前に別の地で出会って仲良くなり、「君(僕)もNときっと仲良くなるだろうし、絶対にドコかで会うだろう」ということから自分の近況を伝えてくれという趣旨だった。TもNも僕より歳下だったが、色んな経験を経た彼ら2人共僕よりいくつも年上に見えた。実際TもNも出会った最初は僕の事を20代前半くらいの学生かな?程度に思っていたらしい(苦笑)。韓国へ向かう船上で聾唖の旅人と出会っても特別な事に感じなかったのは、こういった経験があったからだ。しかもNに至っては日本を出てから既に数年経ってるというベテランの旅人だった。
尚かつ、Nの風貌は前述の通り長髪に髭面で、聾唖でオッドアイという独特な特徴の固まりが歩いているような、旅人の中でも特殊な人物であったからだ。
僕は素朴な疑問で「僕ら(健常者)でも間違ったりトラブったりするのに、聾唖で外国を一人旅するのは不便じゃないの?」と聞いてみたところ、「もともと聞こえず喋れずだから聾唖者は言語を持たない。だから相手が何語で喋っていようと関係ない」と、いうことだった。カッコいいな、おい!
そういった経験をしていると、ちょっとやそっとでは驚かなくもなるというのも日常生活から非日常的な経験まで、十人十色とはよく言ったもので、本当に色んな人が居るのだなと想像し許容できる範疇が広がるからだ。
韓国は東海で別れた彼は未だ旅の途中なのか帰国したのか、もしかして不慮の事態に巻き込まれて亡くなっているのか知る由もないが、少なくとも僕は彼らが確かに生きて旅をしていた事を知っている。

ソウルで仕事を再開してしばらくした頃、バイトの子が「知り合いだっていう人が訪ねて来ましたよ」と僕を呼ぶので出てみると、フェリー同部屋の聾唖の彼が僕に会いに来てくれたのだった。フェリーで会ってから1週間程しか経ってなかったと思うが、僕はとても嬉しくて仕事そっちのけでしばし彼と話し込んだ。
彼曰く、韓国入国時に僕に助けられて「これじゃ、イカん!」と改めてフンドシの紐を締め直したということで、その礼を言いに来たということだった。
その時、彼はアイスコーヒーを飲んで行っただけだったが、僕のオゴリにしておいた。

おそらく彼らとは又、何かの縁でどこかで会うであろう。彼が存命で、無事に旅を楽しんでいる事を願っている。
ダマスカスの安宿のテラス。サボる用務員のオッチャンとT氏。

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