2014年6月8日日曜日

ジャンクギターをリペアするぞ!の巻 その4

前回ではボディの色を塗ったとこまででした。
今回は、その続きから。。
 完全に塗料が乾燥した事を確認して、天気が良い日にクリア塗装を乗っけます。
仕上げのクリア塗装も薄く何度も重ねて、ダマやムラができないように慎重にやっていきます。
 ボディ、ヘッド共にクリアの仕上げ塗装完了!
色を塗った時のムラはすっかり分からなくなりました。
次にフレットを磨きます。
フレットそのものを交換、打ち換えようかとも思ったんですが、超絶面倒臭いのと¥1,000で買ってきたギターにそこまでするのもなぁ、、ってことで磨くだけ。
フレットの擦り合わせは、専用の道具を持っていないのでパス。
指板をマスキングして保護しつつ錆々のフレットを研磨、ピカピカにしていきます。
 こちらがbefore。
 こちらの上の3つが研磨済みの状態。光沢が全然違う。
 フレット研磨が終わって指板の掃除と保護のためレモンオイルを塗布。
 ここでロッドカバーのネジ穴を埋めてなかったことに気付く。。
このギターを買ってきた段階ではロッドカバーは欠損しいたので新しい物を付けます。
が、当然、元々付いていた物とはネジ穴が合いません。
本来なら塗装する前にやっておくべき行程ですが、忘れていたのでシャーない。。
 なので、塗装面を傷つけない様にマスキングして竹ヒゴで穴埋め。
結局、マスキングを剥がしてから穴を埋めた部分を平に整えてたら折角塗ったヘッドを傷付けてしまったので再塗装w
 ボディ本体には、外してあったピックアップや金属パーツを取り付けていきます。
 電子パーツのハンダ付け。
穴埋めと塗装やり直しで綺麗になったヘッドに、外れてたナットと 購入時に欠損していて新しく購入したペグとロッドカバーを装着!
 ネックとボディ本体を繋ぎ、弦を張って、、
 弦高やPU高を調整して、逆反りしまくってたネックを可能な限り順反り側へ調整。
目一杯、順反りにしてみたもののローコード付近のフレットに弦が当たってビビるし、ハイコード付近の弦高もちょっとしか上がってこないので、ナットを今より高さがある物に交換が必要っぽい。
ひとまず完成!☆


これで、とりあえずアンプに繋いで音を出してみたところ。。。

・・・・。

驚くほどにスカスカでペラペラな音圧も艶もない軽〜い出音が。。。

「なんじゃい、コレ!(怒)」


「ナット交換と供にPUも載せ換えよう。。」
と、いうことで、本来なら今回で最終回だったはずの「ジャンクギターをリペアするぞ!」のシリーズはもう少し続きますw

番外編はコチラ

2014年6月5日木曜日

ジャンクギターをリペアするぞ!の巻 その3

すっかり放ったらかしになっていたギターリペア、忘れた訳じゃありません!
その2をアップしたのが1月下旬なので既に4ヶ月以上経ってますが続編です!


塗装を剥がして丸裸になったボディ、、ってとこからの続きです。

下地処理として、塗装を剥がす際に木地本体をめくってしまった部分や前の持ち主による打痕や打ち傷をパテで埋めていきます。
一晩パテを乾かしてサンディング。
ちょうどイイ当て木がなくて素手でやったら若干削りすぎてしまいましたが気にしませんw
サンディング完了!
ベランダの物干竿にぶら下げて塗装します。
本来なら塗装前に木地の木目なんかの細かな凹凸を埋める為に目止め剤を塗るんですが、元の物がしっかり下地処理してあったようで表面は綺麗にフラットで一手間省けました。
少しずつ、薄く何度も重ねて塗っていきます。
ちなみに、この時は雨が降っていたんですが、本来なら雨降りの時に塗装するのは御法度です。
というのも、湿度が高い時に塗装すると絶対にムラができてしまうからです。
これを読んでDIY塗装に挑戦しようと思う方は、必ず晴れた日にしてください。
それが分かっているのに何故雨降りの中で塗装を決行したかというと、気が乗った時にやらないと、また何ヶ月も寝かせる事になるから!w
少しずつ、薄く何度も重ねて塗っていきます。。。
イイ感じになってきました。
家の外壁に若干、塗料が付いてしまったのはご愛嬌w
室内に入れて乾燥。。。
雨天塗装なので案の定ムラができてしまいました。。
右側の1/3くらいが艶消しで、左側が艶有りになってるのが分かるでしょうか?
湿度のせいで、こんな風にムラになってしまします。

まぁ、この後この上にクリア塗装するから、ある程度のムラなら分からなくなるし、別にイイやって訳ですw

で、今回はボディを艶消し仕上げにする予定なので、痛んでないけど艶有り塗装のヘッド部分も艶消しで塗装するためにマスキング。

さすがに、仕上げとなるクリア塗装は天気の良い日にしようと思って、今日はここまで。
欠損していたペグも注文したものが明日には届くと思うので、ここから完成までは早いでしょう。
外しておいた既存の電子パーツが生きてるか不明なので、組んでみてダメな場合は電子パーツの買い直しになりますが。。

その4はコチラ

2014年5月22日木曜日

ギターアンプをバラしてみたよ

今日8歳になる長男がギターを弾くんだけども、普段はデカい音でジャカジャカやられてもイヤなのでアンプなしで練習させていて、たまに音を出したいって時はアンプ内蔵の小さなモニタースピーカーを使わせていました。
でも普段彼は練習スタジオでキチッとギターアンプに繋いでデカい音で練習しているのでやっぱり物足りないようなので、誕生日プレゼントとして少し前に格安で買ったまま放ったらかしになっていた壊れた中古のマーシャル・ギターアンプを修理してやりました。

バラして直して組んでたところに、ちょうど帰宅してきたので「これ誕生日プレゼントな」って言ったら嬉しかったようで早速試奏。

でも、各種ツマミが英語表記でGAINとかVOLUMEとか書いてあるから読めなくて「音が出ん(焦」ってなってたので、「右のツマミがボリュームで、左から2番目のツマミを廻すと音が歪むで」とか教えてやると嬉しそうに弾いておりました。

その後、宿題を終えて様子を見に来た長女や帰宅した嫁さんにドヤ顔で「アンプも知らんだかw」とか「こうやって使うだで」と得意げw
喜んでもらえて何よりだw

だがしかし、実はもともと彼の為に買ったわけじゃなかったので、「オレと共用な。オレも使うからな」と、ちゃんと断っておきました。



2014年4月21日月曜日

近況報告会

遠い地に暮らす18歳から仲良しの女の子と5時間に渡る長電話w
今年で36歳だから付き合いも18年。
年1回くらいしか連絡しないのに何をそんなに話すことがあるのか自分でも不思議だけど話題が尽きず。
そんな遠い間でのやり取りが嬉しくも赤裸々でかけがえのない時間。
お互い頑張ろうぜー!
心のパワーをチャージさせてもらいました。
オレももっと頑張ります!

2014年4月18日金曜日

徒然日記

TOKYO RISING ←クリックでリンクの動画に飛びます。

全5回のファレル・ウィリアムスが 3.11後の東京を追ったドキュメンタリー。
見応えあったし理解できるし面白かったけど、賛同できない。
すごくアメリカ的で画一的な解釈の仕方だなぁ、と。
9.11と3.11を同列で扱うなよ、意味合いが全く違うだろ、と。
知ったげにコメントするアーティストと呼ばれる日本人達に違和感。

TOKYOって一口に言ったって奥多摩や青梅なんかで生まれ育った人と、横田基地近辺や23区内や都心と言われる地域で生まれ育った人とは違うはず。

TOKYO = NEW YORK = LONDON = PARI = BERLIN = MOSCOW = ROMA = BEIJING ,,,,
いわゆる先進都市なんて、せいぜい100年後とか最早先が見えてる終わりかけの土地だと思えてしまう。

アートとか表現というだけの側面で語るなら彼らの言うことも最もだが。。。
生きていればこそ、だよね。
そこには日々の営みというか何の面白味もない生活の場が淡々と横たわっている訳で、どの国の人だって大多数はただその面白いわけでもない淡々とした日々を積み重ねているんです。そしてその積み重ねを「文化」と解釈することがあるだけで、何かを表現しようとしても、それは生きていればこそ。
じゃぁ、生きてるって何?っていう大前提をなくして物事を語るのはナンセンスなんじゃないのかな?
アーティストっていうのは何かを表現しないと生きていけないということには賛同できますが、その前に食べて寝ることができる環境ありきなんじゃ?
後進国のスラムや温暖化の影響なのか日照りや不作が続く地で暮らす明日をも知れない日々に生きる「アーティスト」が表現することって何なんですかね?

環境に恵まれた人が、暗黙のうちに生きられる保証がある人が、何を表現したとしても上っ面じゃないですか?
勿論、全ての苦悩を同列で扱うことはできませんが、そこには噓臭さやズルさを感じずには居られない訳です。

大体が、このシリーズに登場する日本人達が、「どうせ中流以上の、日本人の中でも恵まれた部類の人なんでしょ」という臭いがするのにイラッとした訳ですw
被害妄想ですが、ねw
異論反論は受け付けます。所詮は酔っ払いの戯言w

2014年4月5日土曜日

徒然日記

何の脈略もなく思った事を。。最近、2CELLOSというアーティストの音源を聞いていて思ったんだが、この2CELLOSと日本の吉田兄弟、メキシコのRodrigo Y Gabrielaなんかはアプローチや楽器は違えどベクトルは同じだなぁ、と。
三者三様に楽器やバックボーンが違うから当然同じアプローチにはならないんだけども、古典楽器やその奏法で現代音楽を踏襲し凌駕するのが共通というか、、どいつもこいつもカッコいいな!

以下にそれぞれの動画のリンクを貼付けときます。
2CELLOS
吉田兄弟
Rodrigo Y Gabriela

皆、めっちゃロックだなw
今後、インドのシタールや中国の二胡、モンゴルの馬頭琴なんかでロックを演るアーティストが出てきたら面白いな。
もしそんなアーティストが既に居たら知ってる人は教えてください!

2014年1月24日金曜日

ジャンクギターをリペアするぞ!の巻 その2



 先ずは裏蓋を外しアッセンブリ類の配線を忘れないよう確認しておきます。
外せる物は全て外します。 
謎のPUはゴトー製でした。
ポリッシュで磨くとメッキが剥がれてしまうので、
金属パーツは錆取液に漬けておき、後でウェスで磨きます。
アッセンブリは接点復活剤を塗布して放置。
期待はせずとも、これだけで復活してくれたら儲けもの。

そして、ひたすら塗装を剥がしていきます。
地味で面倒臭い作業。
最初は丁寧にやっててもだんだん雑になってきて木肌をめくってしまっても気にしない!
空いた時間にチョコチョコと3日間かけて塗装剥がし完了!
かるくサンディングして、ささくれなんかを取っておきます。
錆取り液に漬けておいた金属パーツが思っていたほど綺麗にならず、結局ポリッシュで磨く事に。

フレットの打ち換えまでやろうかどうしようか。。
やってもイイけど、面倒臭いな。。

その3はコチラ

ジャンクギターをリペアするぞ!の巻 その1

さて、昨年末にmonsoon食堂を閉店して目下、店の片付けの真最中ですがノンキな日記を。。
1年半程前からユル〜っとギターなんぞを触り始めたんですが、ほとんど練習もせず上達の兆しもないんですが、弾くこととは違った方向で興味は尽きずリペアに挑戦することにしました。
とある昼下がり、街の素敵な楽器屋さん(HARD OFF)に立ち寄ったところ、ジャンクコーナーにバーニー製のギターが¥1,000で売られているではないか!
迷うことなく購入。
状態はと言いますと、
メーカーや型式不明のPUは生存も音はノイズだらけ、
ロッドカバーなし、
弦なし、
指板にステッカー跡、
フレット残7分あたり、
ペグなし、
ボディに打痕、塗装欠け多数、
アッセンブリ類の生存不明、
金属パーツ類、錆々、 
 良かった点は、ブリッジとテールピースが日本製という事と、トラスロッドが生きてたことくらい。ネックの反りは弦が張ってないので目視では不明、ちょっとだけ逆反り気味な気がする。
こやつの塗装を塗り替え、錆を落とし、欠損パーツを着け足し、甦らせる予定です。
コンセプトは、お金をかけない事!
無くなってるパーツは別として、今あるパーツを可能な限り再利用して改造にならない程度に再生すること。
前提として使える様にしないといけないので、死んでるパーツは交換することになります。

ギターのリペアは初挑戦ですが、上手くいくかどうか。。

暇がある時に、焦らずチョコチョコとやるつもりなので時間はかかりますが、途中経過を随時アップしていきます。


2013年12月10日火曜日

閉店のお知らせ

2013年12月9日をもって「世界料理monsoon食堂」は閉店致しました。
ご来店くださった皆様、御助言賜った方々、色々と助けてくれた友人知人、
誠にありがとうございました。
また、どこかで違う形でお会いしましょう!

2013年9月17日火曜日

ハンガリー

ハンガリーに駐在している友人が一時帰国。
久しぶりに会うので色んな土産話を楽しみにしていたが、割と無関係な昔話で盛り上がったw

まだ、あと数年は帰って来ないので気を付けて良い思い出になる様な時間を過ごしてくれたらなぁ、と思います。
まぁ、仕事での渡航だからそんな特別に楽しい事もないのかなw

僕にしてみれば、やむを得ない事情とはいえ、海外生活できるのが羨ましかったりするんですが、元々地元から出た事もなく出たいと思った事もないという彼にすれば大変な事なのかな。

ともあれハンガリーはワインとビールと美食の都。
折角行ったからには存分に堪能して帰って来てもらいたいものです。
お土産のハンガリーワイン&ビール

2013年8月15日木曜日

旅日記/お盆も通常通り営業しております。


先日、店のメールに問い合わせをくれた人と旅の話になり、僕が語った話を折角文章にしたからブログに転載!

僕はmonsoon食堂を始める前の仕事で数年前の夏頃に5ヶ月ほど韓国はソウルに住んでいた。仕事で行ってるので観光地を廻ったりするような遊びは全くせず、職場もアパートも日本で言う渋谷とか心斎橋のような地域にあったので近所の飲み屋にばかり詳しくなるような生活だ。で、お盆くらいの時期に娘の誕生日があるし盆だしで一時帰国したのだが、短い休暇が終わって再び韓国へ戻るときのエピソード。

 鳥取の境港(水木しげるロードがあるとこ)から韓国の東海(トンへ)という街までDBSというフェリーで1晩で行けるのだが、僕はそのフェリーの4つベッドがある部屋に泊まっていて、その僕の隣のベッドの人が、今まさに世界一周の旅に出発するという人だった。
その時の僕は個人的な旅ではなく仕事での渡航だし、これから行く場所も既に居住しているしで浮かれたテンションではないのだが、今この瞬間に旅が始まったという人と出会えて嬉しくなったものだ。しかもその人は、うろ憶えだが当時63歳とか!
僕も過去の個人旅行中に色んな旅人と出会ったがダントツでブッチギリの最高齢。「何でまたイイ歳こいて、そんな酔狂な事を?」と尋ねたところ、「20代前半の頃に一度世界一周したことがあるんだけど、あの時の経験や興奮をその後40年も忘れた事はなく、いつか又!」とずっと考えていたという。で、具体的には忘れたが彼は◯◯省とか◯◯庁だかで公務員を定年まで勤め上げ、「無事退職したし子供らも自立したし、もぅエエやろ」ということで旅に出たということだった。
聞けば退職から1年間は「世界一周の旅に出たいなどと言い出したら、奥さん卒倒するやろな。。」とビビりつつ、退職後2年目になって奥さんに直談判したところ案の定認められず、離れて暮らす子供らも含め説得に1年かかったらしい。無事にGOサインをもらい準備にかかる訳だが、アフリカやら中東やら南米やらの危険地域も経由地に入れているので、段取りがそうは簡単にはいかず準備だけで1年かかったそうだ。(※アフリカの辺境の地などに行く場合、ビザ申請だけでなく伝染病の予防接種を受ける必要があるが、1つの予防接種でも数週間の間を空けて2回とか、他の予防接種を受けてから1ヶ月間は別のを受けられないとか色々メンド臭い、紛争地域だと特別な事情がないかぎり渡航が認められなかったりするなどの為)。
そして諸々の準備が整い「いざ行かん!」ってタイミングに僕が居合わせた訳だ。
何でも、「歳も歳だし危険な事をするんだし、もしかしたら もぅ会えないかもしれないね」と、この旅の道中で死ぬ事もあり得るだろうと奥様と話して自宅を出たそうだ。

彼のザックリとした予定では「とにかく陸路を行く!」とのこと。
なので、事前に準備した色んな国のビザを持ってはいるが、「行かない所もあるだろうし、ビザなしでも行く所もあるだろう」なんて男らしいプランだった。
僕は羨ましく思いながらも夜も更けて話を切上げた。
船内にあるバーのフィリピン人のお姉ちゃんと仲良くなったり彼の旅がどんなものになるのか想像したりしつつ、ゆったりと揺れる船の寝床についた。

 翌朝、予定通り東海に着き入国手続きを済ませ売店のおばちゃんとダベったりしながら、バスで3時間ほどのソウルまでの移動どうすっかなー?なんて思案していた。
ふと、売店横にある入国管理局の人が何かトラブったような雰囲気を見せている。ボンヤリ見ていると昨夜の世界一周の隣ベッドの彼が問題になっている様子。
助けてやろうなんて程でもないが、「どうしたの?知り合いだし手伝おうか?」と、申し出ると、入国管理局員は少し安心した面持ちで「この人とコミュニケーションが取れないんだよね」と入国手続きの手伝いを頼んできた。
僕にとっては慣れた作業なので、本人に代わり必要事項を双方に説明したり記入させたりして無事に入国手続きを済ませ両替もして、ようやく外に出た。僕はタクシーに乗って20分ほどのバスターミナルへ、彼はこの時点での具体的な予定などないのでとりあえず街中へ。「旅が始まって早々助けてもらって申し訳ない、本当にありがとう」と感謝されてしまった。「いえいえ、大した事ではないですよ」そして別れの時。

そう、彼の前途は多難なのだ。僕だって何でもなくタダ隣に乗り合わせただけなら、こんなショーモナイことを手伝ったりはしないだろう。
その、彼の旅というのは、「バイクで陸路で」。
そして何よりも、彼は「聾唖者」だった。
この旅のためにバイクを購入し国際免許を取得し、健常な家族を説得し、様々な申請や手続きを済ませ、死ぬかもしれない覚悟で今、異国の地に降り立ったのだ。

 僕は彼の様にハンデがある人がこういった旅に出る事にさほど驚きはしなかった。
バックパック一つで宿も次の目的地も、その場の気分で決める様なちょっと長めの旅をした事がある人には分かると思うが、そういった旅の道中には「マヂで!?」と思う様な旅人に出会う事が珍しくないからだ。色んなタイプがあるが例えば、40代も半ばで定職に就いた事もなくひたすらバイトと旅を繰り返している人、母国を出てからドコかに定住する事もなく母国に居る家族に連絡もせず早5年とか、妻子が居るにも関わらず1人で気ままで危険な個人旅行するヤツ(僕)、旅に出て既に3年経つがこれから行く宛ても帰る気もないのに全財産が残り20ドルしかないとか。。そういった驚く様な旅人の中にはやはり健常ではない人も多からず居るのだ。
印象に残っている出会いがある。
中東を旅していた時に、シリアはダマスカスでTという日本人と同じ部屋に泊まっていた縁で仲良くなった。その彼とは互いに2、3日ほどダマスカスに滞在している間、連れ立って行動する訳ではなかったが「あすこで酒が買えるよ(飲酒を禁じているムスリム国家なので酒屋や飲み屋を捜すのに苦労する)」とか「どこそこの屋台は旨かった」、「あの角にあるネカフェはエアコンが効いてる」とか情報交換している延長で「今晩、一緒に飲もう!」と必然的な流れで、安宿のテラスでベロベロになって明け方まで語り明かしたりした。
そのTとはその後、一緒にレバノンはベイルートに行き、昼は別行動だが夜は宿で自炊しつつ(ベイルートは物価高故)飲み明かす様な感じでシリア含め計1週間ほど共に過ごした。Tは「残りの全財産が20ドルしかないから、エルサレム近郊(イスラエル)へ不法就労しに行く」とのこと。別れる前夜、そのTからNという日本人の話を聞いた。
というのも、僕はその後再びシリアを経てトルコに渡る予定になっており、僕と同じ様なタイミングで「トルコに居るであろう友人のNというヤツが居るから、会ったらヨロシク伝えてくれ」と言付かったのだ。
そして案の定、イスタンブール(トルコ)でNと出会う。
この偶然も、こういった旅をした事がない人には分からないかもしれないが、必然としか思えない様な偶然と言うか、旅先ではそういう出会いが珍しくない。どこかで会ったヤツに何の約束もなく数ヶ月も後に全く違う土地で再会するとか、「◯◯って人と会うと思うよ」って誰かに言われたりすると、実際にその人に出会うとかって事がよくあるからだ。Tもそれが分かっていて僕にその話をしたのだ。
Tによると「Nは珍しいオッドアイで聾唖で長髪で長い髭をたくわえた日本人」とNの特徴を語っていたので、会った瞬間に「コイツだ!」とすぐに分かった訳だ。
TとNは僕がTと知り合う以前に別の地で出会って仲良くなり、「君(僕)もNときっと仲良くなるだろうし、絶対にドコかで会うだろう」ということから自分の近況を伝えてくれという趣旨だった。TもNも僕より歳下だったが、色んな経験を経た彼ら2人共僕よりいくつも年上に見えた。実際TもNも出会った最初は僕の事を20代前半くらいの学生かな?程度に思っていたらしい(苦笑)。韓国へ向かう船上で聾唖の旅人と出会っても特別な事に感じなかったのは、こういった経験があったからだ。しかもNに至っては日本を出てから既に数年経ってるというベテランの旅人だった。
尚かつ、Nの風貌は前述の通り長髪に髭面で、聾唖でオッドアイという独特な特徴の固まりが歩いているような、旅人の中でも特殊な人物であったからだ。
僕は素朴な疑問で「僕ら(健常者)でも間違ったりトラブったりするのに、聾唖で外国を一人旅するのは不便じゃないの?」と聞いてみたところ、「もともと聞こえず喋れずだから聾唖者は言語を持たない。だから相手が何語で喋っていようと関係ない」と、いうことだった。カッコいいな、おい!
そういった経験をしていると、ちょっとやそっとでは驚かなくもなるというのも日常生活から非日常的な経験まで、十人十色とはよく言ったもので、本当に色んな人が居るのだなと想像し許容できる範疇が広がるからだ。
韓国は東海で別れた彼は未だ旅の途中なのか帰国したのか、もしかして不慮の事態に巻き込まれて亡くなっているのか知る由もないが、少なくとも僕は彼らが確かに生きて旅をしていた事を知っている。

ソウルで仕事を再開してしばらくした頃、バイトの子が「知り合いだっていう人が訪ねて来ましたよ」と僕を呼ぶので出てみると、フェリー同部屋の聾唖の彼が僕に会いに来てくれたのだった。フェリーで会ってから1週間程しか経ってなかったと思うが、僕はとても嬉しくて仕事そっちのけでしばし彼と話し込んだ。
彼曰く、韓国入国時に僕に助けられて「これじゃ、イカん!」と改めてフンドシの紐を締め直したということで、その礼を言いに来たということだった。
その時、彼はアイスコーヒーを飲んで行っただけだったが、僕のオゴリにしておいた。

おそらく彼らとは又、何かの縁でどこかで会うであろう。彼が存命で、無事に旅を楽しんでいる事を願っている。
ダマスカスの安宿のテラス。サボる用務員のオッチャンとT氏。